東京高等裁判所 昭和39年(う)2327号 判決 1965年8月09日
主文
原判決を破棄する。
被告人佐藤龍夫を懲役六月、被告人向後省三、同鎌形精を各懲役三月に処する。
但し被告人向後省三、同鎌形精に対しこの裁判が確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。
領置にかかる現金(計二〇万円。当裁判所昭和三九年押第八三八号の一、ないし三)はこれを没収する。
被告人佐藤龍夫に対し公職選挙法第二五二条第二項の選挙権及び被選挙権を有しない期間を四年に短縮する。
原審及び当審における訴訟費用は、全部被告人三名の連帯負担とする。
理由
検察官の控訴趣意第一点及び弁護人等の控訴趣意第二点について。
検察官の所論は、被告人向後省三、同鎌形精について、原判決が『右被告人両名は佐藤龍夫(本件相被告人)の共謀の上、昭和三八年四月三〇日施行予定の千葉県香取郡小見川町町長選挙に際し、立候補の決意を有する内野信に対し候補者となろうとすることを止めさせる目的をもつて、同年三月二六日同郡小見川町三三二番地の一の前記内野方において同人に立候補を辞退せられたい旨申し向け右辞退の代償として現金二〇万円を差し出し、以て金銭供与の申込をした』旨の佐藤龍夫との共同正犯として公訴事実(罰条公職選挙法第二二三条第一項第一号)に対し、佐藤龍夫を右金銭供与申込罪の正犯と認定した上、右被告人両名の行為はこれを幇助したに止まるものと認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認を犯したものである、というにあり、また、弁護人の所論は、被告人三名について内野信はもともと立候補の意思を有せず、被告人佐藤龍夫もこれを知悉していたが、ただ内野信に対する儀礼上、同人が同県同郡東庄町長たる被告人向後省三、同山田町長たる被告人鎌形精の勧告により立候補を辞退したかの如き形式を整えるため右被告人両名を内野信方に差し向けたところ内野信は一旦立候補しない旨を明言した後、金員交付方を要求しこれに応じなければ前言を取り消すと言い出すに至り、右被告人両名はその旨を被告人佐藤龍夫に伝えたので、同被告人は予て内野信の経済的窮状に同情していたところからこれを救済するため贈与する趣旨をもつて同人の要求に応じ被告人向後省三、同鎌形精を介して本件の金二〇万円を提供したものであり、被告人向後省三、同鎌形精もこれと同趣旨において右選挙とは関係なく右金員提供の仲介をしたに過ぎないから被告人三名の所為はいずれも罪とならないものである。しかるに原判決がこれを内野信が立候補を辞退することの代償として供与の申込をしたものと認めて被告人等に金員供与の申込または幇助の罪責を問うたのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認を犯したものであるというに帰する。
よつて各所論にかんがみ、被告人佐藤龍夫については職権をも加えて審究考察するに、公職選挙法第二二三条第一項第一号第二二一条第一項第一号の金銭供与申込罪は、公職の候補者となろうとすることを止めさせる目的をもつて公職の候補者となろうとする者に対し金銭を贈与する旨の意思表示をし、又は、現実に金銭を提供して相手方においてこれを受領し得べき状態におくことによつて成立する犯罪であるから、自らかかる所為に出でた者をもつて犯罪の実行行為者即ち正犯と解すべきことは言うまでもないところ、刑法第六二条第一項にいわゆる従犯とは、主として犯罪の実行行為(刑罰法規各本条所定の構成要件に該当する行為)以外の行為により、正犯者の自ら行う犯罪の実行行為を助けその実現を容易ならしめることを言い、犯罪を主謀画策した者において自らはその実行行為に出でず、これと意思を通じた他の者においてこれを担当実行した場合においては、たとえその者において、専ら右主謀者の指示に従い、その意図を実現するため従属的立場においてこれに加巧したに過ぎない観を呈することがあつてもその所為は従犯たるに止まるものではなく、右主謀者と共同して犯罪を実行した者として刑法第六〇条所定の(共同)正犯の罪責あるを免かれず、公職選挙法第二二三条第一項第一号第一号第二二一条第一項第一号の金銭供与申込罪についてもその理を異にするものではないと解するのが相当である。これを本件について観ると、原判決挙示の各証拠を綜合すれば、被告人佐藤龍夫は昭和二六年以降八年間に亘り千葉県香取郡小見川町議会議員として在職し、現在同町農業委員会委員の任に在るもの、被告人向後省三は昭和三一年一〇月から同郡東庄町長の職に在るもの、被告人鎌形精は同年一二月から同山田町長の職に在るものであるが、被告人佐藤龍夫は昭和三八年四月三〇日施行予定の右小見川町長選挙に際し、昭和二二年以降連続四期に亘り無投票当選により同町長として勤続し、同選挙にも立候補の意思を有していた山本力蔵を支持し、五たび無投票当選を得しめることを切望した結果、同人に対立して立候補の意思を有し昭和三八年一月頃、既にその意思を表明していた内野信に対し、金員供与を代償として立候補を辞退させることを企図し、同年三月二〇日頃、同町役場総務課庶務係長兼人事係長の職に在り、内野信とは眤懇の間柄にある菅与示美に意中を明かし、一〇万円や二〇万円の金なら自分が出してもよいから、それ位の金を供与すれば内野信が立候補を辞退するかどうか、同人の意向を探りがてらその趣旨で同人に働きかけて欲しい旨を依頼したところ、菅与示美は同月二四日頃内野信と面談し、被告人佐藤龍夫の名を秘し同被告人依頼の趣旨に副つて内野信の心事を打診した結果、被告人佐藤龍夫に対し、内野信は、二〇万円位の金を貰えば引込むことを仄めかしたが、同人にも応援者がいるので、適当な人に説得されて立候補を辞退した形にしないと具合が悪い、その説得者は東庄、山田の両町長(すなわち被告人向後省三、同鎌形精)ならよいとの意向である旨を報告したこと、被告人佐藤龍夫は、被告人向後省三、同鎌形精はいずれも隣接町の現職町長として社会的地位もあり、声望も高く、従つて両名が内野信に直接勧告して立候補辞退方を説得した形をとるのが最も効果的であるから、先ず、両名をして内野信の誤得に当らせ、同人が立候補辞退の意向を明らかにするにおいては、所望の金員は別に菅与示美に依頼してこれを届けさせようと考え、同月二五日被告人向後省三に対し、金員供与の意向はこれを秘し、右経過を述べて被告人鎌形精とともに内野信の立候補辞退勧告に当られたい旨を依頼したところ、被告人向後省三もかねて山本力蔵の無投票当選を希望していたところからこれを承諾し、翌二六日被告人鎌形精に右依頼の趣旨を伝えて内野信に対する共同勧告方を促し、同様山本力蔵の小見川町長勤続を望んでいた被告人鎌形精の承諾を得、即日予め菅与示美を介して内野信に面会を申し込んだ上、右被告人両名において小見川町小見川三三二番地の一の内野信方居宅に同人を訪問し、こもごも立候補辞退方を勧告したこと、内野信は右勧告を受けるや、さきに右町山本力蔵の下僚である菅与示美に示唆した線い副い、同人の仲介により被告人向後省三、同鎌形精が来訪したところから、金員供与を代償とする立候補辞退勧告の動きは、町長山本力蔵の策謀指示によるものと臆測し、この動きに乗じて故ら、金員の供与があれば立候補を辞退する意思があるもののように装い、金員を提供させた上、直ちにこれを司直に告発して同町長の刑事責任を追及しかねてから政敵として対抗して来た同人を失脚させるきつかけとしようと企て、一応右被告人両名の勧告に応じて立候補を見合わせる旨を表明した上、両名が辞去しようとするや、片手の指を二本出し、もう一方の手の指で作つて見せながら、金を持つて来る筈になつているがどうしたのか、金を持つて来なければ今言つたことは取り消すと言い立候補辞退の代償として金二〇万円の供与を要求するかの如き態度を示したので、右被告人両名は一旦同家を辞し、直ちに被告人佐藤龍夫にこの旨を電話報告し、内野信に所望の金員を渡さなければ、同人に立候補を辞退させることは不可能な状況にある旨を告げたところ、被告人佐藤龍夫は急遽現金二〇万円を調達の上、被告人向後省三、同鎌形精に対し、初めて内野信に金員を供与して立候補を辞退させる意図の下にその工作をして来た経過を打ち明けて右金員を両名に差し出し、内野信を再訪してこれをその趣旨で同人に手交されたい旨を懇請したこと、被告人向後省三、同鎌形精は、今更これを拒絶するにおいては、被告人佐藤龍夫の画策した山本町長無投票五選の企図は頓挫し、これに同調して内野信の立候補辞退勧告に当つた両被告人の尽力もその成果を期待し難い事態に立ち至ることを顧慮した結果これを承諾し、被告人佐藤龍夫から右金員を預かり、即日両名同道して内野信方に到り同人に対し同人が立候補を辞退することの代償として贈与する趣旨のもとにこれが受領方を求めてこれを同人に差し出したことを認めることができ、当審事実取調の結果によつてもこれを裏付けるに足り、論旨援用の証拠はもとより記録を精査しても右認定を覆えすに由がない。そしてこれを前段説示に照らせば、被告人三名は右小見川町長選挙に際し被告人佐藤龍夫の主謀画策に基き共謀の上、同町長の候補者となろうとしていた内野信に対し候補者となろうとすることを止めさせる目的をもつて金銭を供与することを企て、被告人向後省三、同鎌形精においてこれが実行行為を担当し右内野信に対し現金二〇万円の贈与方を申入れてこれを差し出しもつて金員供与の申込をしたものにほかならないから、いずれも公職選挙法第二二三条第一項第一号、第二二一条第一項第一号、刑法第六〇条(金員供与申込罪の共同正犯)の罪責あるものと言わなければならない。されば原判決が被告人佐藤龍夫の所為を金員供与申込罪の単独実行正犯、被告人向後省三、同鎌形精の所為をこれが幇助犯と認定したのは、いずれも事実を誤認したものであつてこれが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、検察官の論旨はもとより、弁護人の論旨も結局その理由あるに帰し、原判決は全部破棄を免かれない。<以下―省略>(小林健治 遠藤吉彦 吉川由己夫)